お花屋さん仕事体験記

働いた体験記を読者の方に投稿して頂いた記事のまとめ


お花屋さん仕事体験記


お花屋さん仕事体験記 010

セリ市のあるお花屋さん / Misuzuさん

何年か前の事ですが、
主人の仕事の都合で、東京から某地方都市へ引っ越ししました。
うちはまだ子供がおらず、主人と二人きりなのでまぁお気楽な生活と言いますか
引っ越してしばらくは自転車で近所を散策し、スーパーはここがいいかなとか
美容院はここがおしゃれそうかなとか街探検をしていると、ある1件のお花屋さんを発見しました。

東京にいる頃にアレンジフラワーを習っていたのでお花は私にとって身近な存在でした。
いいお花屋さんがあれば、月に1回ぐらいはお花を飾りたいな〜なんて思っていました。
しかしそのお店はマンションの1階をぶち抜いたようなコンクリート打ちっぱなしの壁で
まるで車の車庫のようでシャッターがついているだけのお店でした。
お店の広さは車が2台余裕で入るぐらいの大きさで
外見を見るだけでも私がイメージしているオシャレなお花屋さんとは程遠い感じでした。
自転車を降りてお店に入るとフラワーキーパーはなく、アレンジとか花束とかもなく、
青色の大きなバケツがドンドンドンと並べられていてその中にお花がババ〜ンと入っていました。
値段をみると、これまた驚きで、
ガーベラが10本で280円とかバラが10本で380円とかそんな値段で売られていました。
「この値段なら毎週お花を買える」なんて思いちょっとうきうきしました。

とりあえずその日はバラを買って帰る事にしました。
お店の店員さんはひたすらパック詰めのお花を作っており、忙しそうでした。
支払いの時に、「土曜日の2時からセリ市をやってますんでよかったら来てね、お嬢さん」と言われました。
三十路の私に「お嬢さんはないだろ〜」と思いましたが、
「セリ市か〜面白そうだな〜」と思い、土曜日の午後またお店に行きました。

お店に入るとこの前280円で売られていたガーベラが150円で売られていました「え〜、この前の半額じゃん」
(私の記憶違いかもしれませんが、土曜日になると一部商品が半額位になっていたように思います)
かなりの衝撃に思わず叫びそうでした。

あれこれ品定めをしていると、
店長さんが大きな声で「では、皆さん、毎週恒例のお花のセリ市を開催します」と言いました。
何が始まるかわくわくしていると、お花の束を取り出して店長さんが言いました。
「カサブランカ5本、え〜、1200円から」と言うと
私の後ろで「1300円」
横で「1400円」と声が聞こえます。
また後ろで「1500円」
横で「1550円」なんてどんどん値段が上がって行きます。
しばらく沈黙が続いて店長さんが「1550円以上ないですか」と言うと
後ろで「じゃあ1600円」と声が聞こえます。
店長さんが「1600円、後ろのちょっと美人なマダム落札」なんて言います。
周りでどっと笑いがおこって、とっても楽しい雰囲気になります。

そうやって何十種類かのお花が素人セリにかけられて、買うのも楽しいでしょうが、見ているのも
結構楽しくて、都合がつけば毎週土曜日になるとお花のセリ市を見に行くようになりました。
お花のセリ市が目当てで来ているお客さんも結構いるようでしたが、お客さんは多くても大体20人位でした。

見ていると、そのうち自分でも参加したくなって、500円以内と予算を決めて参加するようになりました。
値段を自分で「350円」とか「390円」とか口にすると何だかわくわくドキドキしてきます。
「誰もこれ以上の値段で入札しませんように」と祈って
さらに落札できると興奮して爽快感すら覚えます。

いつしか毎週のこのセリ市でお花を買う事が私の趣味になりつつありました。
こちらに引越して来て、本当にいいお花屋さんを見つけたな〜なんて思っていました。


ところが・・・。
私がそのお店に通いだして半年程経った頃、お店の店長さんが変わる事になりました。
お店の常連さんのお客さんと話してた時に聞いたのですが、店長さんが大きな赤字を出して
それで変わる事になったそうですが、
店長さんが女性の方に変わってからは
お花の種類も少なくなり値段も前より高くなり(適正な価格に戻ったのか、それでも他店より安いですが)
毎週土曜日の割引セールもセリ市もなくなってしまい、非常に残念に思いました。
それからはすっかりそのお店から足が遠のいてしまい、お花を買う事もなくなってしまいました。


それからさらに半年位過ぎた頃、お花を買う用が出来たので、久々にそのお店に行ってみました。
「アレッ、通りを1本間違えたかな〜、ここだったよな〜」と場所を何度も何度も確かめましたが
お店のあった場所にお店がありませんでした。あのお花屋さんはいつの間にか別のお店に変わっていました。

少し残念な気もしましたが、安売りだけでは難しいのかな〜なんて思いその日は自転車をこぐ気力も失せ、とぼとぼ帰りました。

ただ、今でもあのセリ市の楽しい感覚は忘れられません。
あのお店の店舗だった通りを通る度に思い出します。


コメント:セリ市の風景が目に浮かぶようで何だか楽しいですね。以前、素人セリをする大きな園芸屋さんの事をテレビで見た事がありますが、小さなお花屋さんでというのは珍しいですね。そのお店がなくなってしまったのは残念だけど、そのお店の事はずっと記憶に残るし、この記事を読んで、「そのお店!私も知ってる」って方もいるかもしれませんね。さらに街探検をして面白いお店をみつけて下さいね。



お花屋さん仕事体験記 009

いつしか心に決めた事 / tomoka.fujita さん

母は私が幼い頃から花を愛で、植物を取り入れて生活をしてきました。
家の狭い庭は常に色んな植物で溢れて食卓には野菜やハーブが添えられる、そんな日々。

わずかしか収穫はないのですが、
目を輝かせて私に説明するその姿は可愛らしい女の子の様でもありました。

私は「ハイハイハイ」といつも適当に答えていました。

ミントやレモングラスを浮かべて飲ませてくれることもあれば、料理の中にも必ず登場します。
我が家の中ではハーブは特別なものではないのです。
でも、それは母が私にしてくれていることでした。

花の名前や今日の表情。いつも声を掛けて教えてくれます。
「ほら、今年もライラックの花が咲いたのよ」
仕事に出かける毎に「あれを見て」「これを見て」「この木はね・・・」
「ハイハイハイ」
「あなたは名前に花ってついているのに、ちっとも植物のことを覚えようとしないのね。ほんとに・・・」

朝の時間に余裕のない私はいつも同じでした。
「ハイハイハイ、いってきまーす」。


趣味の域は超えることが無いだろうと思っていたのですが、母は突然花屋さんで働くことを決意。
毎日、仕事として花に囲まれる生活がはじまりました。

毎日ノートを付け、本屋で本を買ったり図書館で図鑑をかりたり。
楽しそうな表情をしている時もあれば、辛そうな表情の時もありました。
体も大変そうだなと思うときもありました。

ただ一つ、母を支えていたのは「好きなことだから」出来るんだという思い。
何となく私にもそれがわかる気がしました。

母は天才ではなくて努力の人。私よりも歳は当然上なのに、
必死に頑張っている姿を見て私もいつしか心に決めました。

私はお茶が好きで、特にハーブティーが好き。
もっとハーブのことを学んでみたい。そう思うようになりました。

いつも適当に返していた返事。
黙々と野菜やハーブを食べていたけれど、
自然に私の生活の中に母の言葉や家族のための気持ちが私の糧や気持ちに変化していました。

今、私は少しずつですがハーブの勉強をしています。
何ができるか模索している段階ですが、高齢ながらイキイキしている母を見ると
何かを始めるのに遅いなんてことは無いんだと勇気を貰っています。


今日も母は私を見送ってくれました。「今年は桜草の鉢が増えたのよ」

でも、私の返事は同じ。
「ハイハイハイ、いってきまーす」
「ほんとにもう・・・いってらっしゃい」

そんなやりとりが私は好きです。
いつまでも元気でいて欲しい、そんな想いです。


コメント:「何かを始めるのに遅いなんて事はない」その通りだね!何事もまずは一歩を踏み出す事が大切ですね。
ところで母上様が働いているお花屋さんに行ってみたいものですね!きっと買うお花の事について「これでもかっ」て言うぐらい細かく説明してくれそうですね。




お花屋さん仕事体験記 008

デスクワークからの転職 / 匿名 さん

私が花屋で仕事を初めて3年、色々な事がありました。
未経験からのスタート。
この職業についたきっかけは…
引越しの為、今まで勤めていた事務職の仕事を辞めて雇用保険をもらいながらゆっくりしようと思っている時にたまたま母の日の短期バイトの求人を目にして応募したのがきっかけだった。
ほんの短い期間だし、なんとなくどんな世界なのか興味があったので応募したのだ。

何の取柄もない私。
決して器用でもないので物を作る仕事に就こうとは思ったことがなかった。
短期バイトの面接は直接働く店の店長との面接だった。
店長は凄くいきいきとしているように見えた。
自分の店の今後の進展を凄く熱心に語ってくれた。
やる気があれば誰でも頑張れる職種だ、とゆう事。
一つの花でも奥が深いという事など、
まだそこで働くことも決まっていない私に沢山時間をかけてお話してくれました。

私のそれまでの花屋に対するイメージ、自分には無理だろう。とゆう後ろ向きな気持ちはいつの間にか…やってみたい。挑戦してみたい。とゆう気持に変わっていた。

実際、仕事をしてみると、今までデスクワークだったとゆうこともあり、しばらく全身筋肉痛だったり、花にもスタッフにもお客様にも最善の気を使ったりで凄く疲れる日々だった。
休みの日はまる一日、寝てしまうことも…

でも決して嫌ではなかった。
こんなに時間が経つのが早く感じる仕事に就くことは初めてで、一日があっという間でした。
花に関する情報を教わると、お客様にも伝えたくって接客も楽しかった。


三年経った今でも、まだまだ勉強することばかりで、毎日がとても新鮮です。
花屋で働く様になり、自分に自信が付いたような気がします。
やっぱり不器用な事で人より沢山練習したり、苦労はしましたが、今では人並みにギフトを作ったりもしています。

結婚記念日のプレゼントに
お誕生日のプレゼントに
お見舞いに

お客様一人一人、ご用途は違いますが、お客様の想いがこもったプレゼントに私の作品を利用して頂き、とても嬉しく思っています。

これからももっと技術も知識もつけて
奥の深い花業界で活躍していきたいと思います。


コメント:立ち仕事で体力のいる仕事なのでデスクワークからの転職組には慣れるまでは相当こたえるでしょね。また、技術的な事も人よりも沢山練習する事で苦手を得意に変えて、それを乗り越えていく事で自信につながるのですね。これからの活躍に期待しています。



お花屋さん仕事体験記 007

お花屋さんの友達 / さゆりんさん

私は食品会社で事務の仕事をしています。
特に趣味もなく休日は友達や彼氏と遊んだりして
のほほ〜んと毎日を過ごしていました。
そんな休日のある日、大きなショッピングセンターの花屋さんにぶらっと立ち寄りました。
私と同じぐらいの年の可愛い女の子が、大きなバスケットにお花を生けており、
何だかその姿がとてもかっこよく見えてしばらく見とれてしまいました。
仕事の出来る人ってこういう人の事を言うのかな〜
とぼんやり思いました。

その日から、何だかあの女の子の事が妙に気になって
次の休日にもそこの花屋さんに行ってみました。
お店に入ってあちこち見まわしてうろうろしていると
彼女が声をかけてきました。
「あっ、あの女の子だ〜」女同士なのに、なぜか内心ドキドキしながらそう思いました。
彼女はにっこり笑って「何かお探しですか、お見舞?それともお祝い?」と聞いてきました。
私は買うつもりもなかったのですが、とっさに「誕生日のお祝いで」と言ってしまいました。
彼女は鉢のお花を薦めてくれましたが、
私は「アレンジフラワーって出来ますか」と聞いていました。
彼女はにっこり笑って「出来ますよ」と応えてくれました。
「二千円ぐらいで出来る」と聞いたら
彼女は少し考えて
「通常は3千円からだけど、店長今いないし、二千円で店長には内緒で作っちゃう」
と言ってくれました。
話しも上手で、とてもテキパキとお花を選別して動きに無駄がなくやる事も早く
すごいな〜と思いました。
内心彼女が羨ましく、また彼女のようになりたいと一瞬思いました。
私なんか会社で電話応対と、ちんたら伝票整理してるだけだし〜

彼女が作ってくれている間、店内をあちこち見て回っていました。
すると、「従業員募集、アルバイト募集、条件NFD3級以上」という文字が飛び込んできました。
「NFD3級って何?」
アレンジ製作中の彼女に尋ねてみました。
「お花の資格の事ですよ」と彼女
「私でも取得出来ますか」とっさにそう聞いていました。
「もちろん努力すれば誰でも取得出来ると思います。」
そんな会話をしているうちにアレンジが出来あがりました。
「お客さん、お花屋さんになりたいの?」
「いえ、あなたがとても綺麗にアレンジを作るのを見ていたら、なんだかかっこよくて
私もそうなれたらいいなと思って」私は素直にそう答えていました。
彼女はにっこり笑って「よかったら、また来てくださいね〜」そう言ってくれました。

それからもちょくちょくそのお花屋さんに通って、彼女とは友達になりました。
お花の資格NFDを取ろうかとも思いましたが、取得までのレッスン費用が結構かかる事や
取得した後も協会に年会費を結構な金額払う事などを彼女から聞いたりして迷っているうちに
あの時の熱は少し冷めてしまいました。
また、お花屋さんの裏事情なども聞いたりして、大変なんだな〜と思いつつ
やっぱり私は事務職でいいやと思いました。
それでもお花屋さんの彼女と友達になれた事が私には一番の幸せです。


コメント:大人になると妙に身構えてしまったり気取ってしまいなかなか素直に本当の事が言えないよね、初対面の人や、店員さんとお客さんなんて立場ならなおさら、その点あなたはとても素直で思った事を率直に聞けてすごですね。それも一つの才能ですよ。これからもお花屋さんの友達は大事にして下さいね。



お花屋さん仕事体験記 006

30代後半の再就職 / まり子さん

花屋さんでの仕事の体験ではなくごめんなさい。
私は以前花屋さんで働いていましたが、
結婚を期に退職し専業主婦になりました。
2児の母となりとても幸せに生活をしていましたが

結婚8年目に旦那の浮気がきっかけで離婚する事になりました。
私が我慢すればよかったのですが、どうしても許せず

離婚に際して身も心もボロボロになりましたが、
何とか子供だけは私が引き取る事と、養育費も毎月7万円もらう事を承諾させました。
私は実家に帰り私の母と2人の子供と4人暮らしをはじめました。
父は去年他界して実家では母一人で生活していたので
私達3人が転がり込んで母はぶつぶつ文句を言っていましたが
内心喜んでくれているようにも感じました。

取りあえず仕事を探さないとと思っていましたが
といっても特に何の取り柄もない30代後半の女性を新たに働かせてもらえるような職場はなく
本当に困っていました。

求人誌を読みあさりお給料とか勤務時間とか条件に合う職場を
10箇所以上面接を受けましたが、どこも断られました。
あと空いているのは不規則な時間帯(早朝や深夜)に倉庫作業をするような仕事ぐらいしかなく
子供がいなければそれでもいいのですが、子供の事を考えるととても勤めようとは思えませんでした。

私は困り果てた挙句に以前勤めていた花屋さんにぶらっと立ち寄りました。
相変わらずのちゃきちゃきの奥さんと優しい旦那さんが出迎えてくれました。
二人の顔を見たらなぜか涙が出てしまいました。

離婚の事から仕事が見つからない事まで
一部始終を二人に話すと少しすっきりしました。
奥さんは「また、うちで働きなよ、パートでもよければ、そうしようよ」と言ってくれました。

私はまた涙が出るほど嬉しかったのですが、
「こんなおばさんがお店にいてもお客さんが逃げちゃうよ」と言って冗談まじりに断りました。
奥さんは「わたしの方があんたより、もっとおばさんだよ」と言って二人で大笑いになりました。

本音を言うとこのまま奥さんに甘えちゃおうかとも思いました。
また、好きなお花や接客の仕事が出来るなんて夢のようにも思えました。

でも昔からその店で働いていて以前も一緒に働いていた男性従業員から
「うちの店相当景気良くないよ、大口の仕事もなくなっちゃったし」と聞かされていたので
私が入る事でさらにお荷物を抱えてしまってはお店にとって迷惑ではないかと思いました。
それに体力的にも自信がなかったという事もありますし、
私一人ならお給料の多い少ないは問題ないのですが、扶養家族が3人いるので
パート扱いではお給料の心配もあったし、
育ち盛りの二人の息子を養っていけるかどうかという事も頭の隅にありました。



あれからもいくつか面接を受けて企業の面接官に「何しに来たの」とか「フン」とか「ケッ」とか
あからさまに言われる事もありましたが、
あの時、花屋さんに顔を出してからすっきり気分が晴れて前向きになる事ができていたので

きっと花屋さんの奥さんのような面接官のいる事を信じて
求人誌を読みあさりあちこちに何度も何度も受けにいきました。

今は何とか決まった時間働いて決まったお給料をいただける仕事を見つける事が出来ました。

あの時、花屋さんの奥さんが言ってくれた言葉が今でも嬉しく耳に残っています。
面接をがんばれたのも奥さんのお陰です。
もし、これを読んでくれていたら「本当にありがとうございます」とお礼を言いたいです。


コメント:若いうちは何でもできると思っていても、年齢を重ねてしまうと背負うものが大きくなって、例えば子供なり年老いた親なり、だから自分が何をしたいかではなく何が出来るかになってしまうのですね。経済的にもう少し余裕があれば、好きな仕事が出来たかもしれませんね。せめてお子さんには好きな事をさせてあげてくださいね。



お花屋さん仕事体験記 005

配達の途中で / by ザッチョウさん

僕は花屋で働いている27歳の男です。
2年程前の配達の途中での出来事ですが

毎週月曜日の朝、生命保険会社にパック詰の花を配達しているのですが、
その週もいつものように月曜日の朝開店前に店を出発して配達に出かけました。
月曜日の朝配達する生保は2件あり、どちらも9時までに納める決まりになっています。
順調に配達を終え、帰りに郵便局によって郵便物を出すよう店主に頼まれていましたので、
道沿いの郵便局に入りました。
郵便局には警備員が1人外にいて20歳ぐらいの若い女性と話していました。
若い女性はなにやら困っているようでした。
「あの警備員、職務中に女の子に声かけて、なにやってんだ」と思いながら、手続きを終え出て来ると、
先ほどの警備員が店の車をじろじろ見て僕に声をかけてきました。
「花屋さん、配達はもうおしまいですか」
僕はとっさに「ええっ」と答えました。
警備員は言いました「この子をちょっと配達してやってくれんだろうか」

いきなり訳もわからずそんな事を言われてもと思いながらも、女の子が可愛いので
「どこまで」と聞くと、「○○自動車教習所まで」と言われました。

どうも話しによると、いつも郵便局前に8時50分に来るはずの教習所の迎えの巡回バスが時間になっても来ず、
困っていたそうです。
しかも9時20分から仮免許の試験があり、仕事を休んで来ているのでどうしても
遅れたり休んだりする訳にはいかないそうです。(別に警備員さんがナンパしていた訳ではなかったようです、笑)

今9時5分過、バスが来る気配は全くない。
もう時間がないし、そういう事なら何とか力になってあげたいと思い、
「分りました、裏道を通れば7、8分で行けますよ、乗って乗って」なんて
その子を乗せて教習所へ向いました。
踏み切りを越えて信号左折、軽快にシフトを操作しつつ
エンジンうなる店の軽ワゴン車、カーブで鳴るタイヤ

当時彼女いない暦3年の僕にとって助手席に女の子を乗せて走るのはいささか恥ずかしさもあり
ほのかに香ってくる彼女の長い髪のシャンプーの匂いに感動しつつ、このままずーと走っていたいなんて
思いましたが、彼女はそれどころではなかったようです。
「あ〜、どうしよう。」と顔は青ざめ時間ばかり気にしています。
何とか落ち着かせようと、あれこれ話してリラックスさせつつ、少し緊張がほぐれてきているようでした。
地方から出てきているそうで、道とか全く分らない様子でしたが
「あっ、看板が見えた、何とか5分前には入れそうだ」
と言うと安心したのかニッコリ笑って「よかった。ありがとう」と言ってくれました。

車を降りて小走りに走って行く後ろ姿、ほんの短い時間の出来事だったけど楽しかったな〜と思いつつ
店に帰りました。

その後彼女が受かったかどうかはわかりませんが、ささやかながら人助けが出来てよかったと思っています。
メールぐらい聞いとけばよかったな〜と今でも思います(笑)


コメント:配達で外に出ると色んなドラマが生まれるんだね!警備員さんにも感謝しないと!
彼女はそれどころではなかったに違いないが、やはりメールはどさくさにまぎれてでも聞くべきだね(笑)




お花屋さん仕事体験記 004

同級生K君 / by 匿名さん

私の同級生の男の子K君の事を少し書きたいと思います。
彼の花屋さんになりたいという夢を応援したく
結構ひどい境遇でも一生懸命やっている人なんで、皆さんにも彼の事を知って欲しく投稿致しました。
私は普通の主婦で花屋さんで働いた事もありませんが

私がK君と再会したのは2年前の同窓会でした。
当時私は子供の事で少々気を病んでいました。
私の子供は現在5歳ですが、2年前の同窓会がある少し前、検診の時に
「息子さん自閉症かもしれません」と言われていました。
私自身もそうではないかな、そうであってほしくないと思いその当時から少し気になっていたのですが...
現在の体格も他の5歳児よりも小さく、他の子ともうまく遊べず。喋る事もままなりません。
今はそれを受けとめ主人も子育てに協力してくれますが、
当時は主人もそれを受け入れられず、
酒を飲んでは遅く帰ってくるようになり子供の顔すら見てくれませんでした。
私自身も意思がうまく通じ合えない我が子とどのように接したらいいのか
また自虐的な行為を繰り返す我が子から常に目が離せず精神も疲弊していました。

そんな時、同窓会があり、私は少々はめを外してしまいました。
別に昔から好きだったとかそういうのはなかったけど、K君が優しくしてくれるので
一緒に飲んで話していました。K君は私に言いました「何か悩んでるでしょ?」
K君は私の心を見透かしていました。と同時に私もK君も何か影を抱えているように感じました。
K君が優しく問い詰めてくるので、私は子供の事や旦那に対する不満などをぶちまけました。
何も言わずに聞いてくれるK君、聞いてもらう事により、私の心は癒され少し楽になりました。
K君も話してくれました。K君は花屋さんに転職したばかりで、仕事が辛いと言っていました。
結構酔っていたので、私だけ一方的に話していて、その時のK君の話しはあまり覚えていませんが...

それからはK君とよく会うようになりました。K君は独身なので
会う時はK君の休みと私の都合に合わせて決まって平日の昼間でした。
K君と会う時は子供の事や旦那の事も全て忘れて楽しい時間がすごせました。

あの時、やけにならなかったのはK君の支えがあったからかもしれません
また、K君も私が支えていたのかもしれません。

よく会うようになってからK君に、「仕事どう?」と聞いてみました。
K君は少し考え込んで、ぽつぽつと話してくれました。

K君がその花屋さんに入ったのはお店も綺麗で多くの人とふれあえる魅力的なお店だと感じたからだそうですが、入ったその日から店ではなく、店から少し離れた場所にある倉庫兼作業場でお葬式の花を作らされたそうです。
店の社長さんに君の部署はここだと言われ、狭く薄暗い倉庫の中でお葬式の花ばかり作っているそうです。
朝から晩まで1日30〜40杯ぐらい作るそうです。作った花はストッカーと呼ばれる大きな冷蔵庫に
何十杯も保存してあり、お葬式花の注文が入ったらワゴン車に載せて
提携している葬祭場などに配達に行くそうです。
華やかな店頭販売を夢見ていたK君は来る日も来る日もお葬式花ばかりでほとほと嫌になっているそうです。

たまに店の方に来てくれと言われれば、頼まれるのは配達ばかりで、花屋の技術を学ぼうなんて事は
到底出来ないそうです。
「僕もお店の方を担当させてください」と言ったそうですが、
「店は人が足りているから必要ない」と言われたそうです。

私はK君に言いました
「今のままだと一生暗い倉庫の中でお葬式の花を作って終わっちゃうんで少し考えた方がいいよ」と
K君はわかったと言っていましたが...

それからも何度かK君に会いましたがその話題は出ませんでした。
私もあえて聞きませんでした。

それから何ヶ月かたったある日、いつものようにK君と会っていると
「オレももう33だし、今更使ってくれるところもないし
今の店を続けながら、フラワースクールに通って、お金をためて自分で店出すよっ」
て言っていました。

私は「そう、がんばってね」と言いました。

K君の選択が良い選択か悪い選択か分りませんが、
K君がお店の社長さんと話していた時に
「僕のやっている事は何なんですかね〜、僕の仕事はお店の役に立っているでしょうか」と聞いたそうです。
社長さんは「君の仕事は店売りしている女の子3人分に相当するぞ」と言われたそうです。
それを聞いて少し元気が出たそうで、辞めるのを思いとどまり、続ける事にしたそうです。


K君と同じような状況で働いている方も沢山いると思います。
お花屋さんで働けて嬉しい、楽しいって、綺麗な店頭でお客さんを相手に接客して働けるのはごく一部で
特に技術や経験のない者は配達や葬祭関連にまわされるそうです。
もちろんそんな花屋さんばかりでもないと思いますが...

採用されたらフローリストケース、K君にプレゼントしたいと思います。


コメント:どんな仕事でも何をやるにも下積みして苦労する時間は必要だと思います。
いきなり店頭でお客さんを納得させるようなアレンジフラワーを作れるはずもないし
だから最初は裏方の仕事がメインになるのは仕方ないと思う。そういう現場主義的なやり方が
いいか悪いか分らないが、世の中の職人と呼ばれる人達は大抵長い下積みの時間を経験して
一人前になっていると思います。

さてK君、人妻さんと遊んでいる暇があるなら半日でもいいから休日も出勤して
普段見る事が出来ない店売りを見学させてくれと社長さんに頼むべきです。
社長さんもダメとは言わないと思います。
店内にはどこに何があって、店頭販売の店員がどんな動きをしているか観察すべきです。
アレンジにはどんな花を使うのか、花束はどんなデザインにするのか
自分で店を出すなら、早く一人前になりたいならそういう事を自分なりに研究した方がいいのではないでしょうか
スクールに通うのも必要だが、店売りとはちょっと違うだろうし、

お金だけ貯めてもしょうがないのではないか!
厳しくて偉そうな事を言ってすみません。




お花屋さん仕事体験記 003

初めての温室 / by MY

私は数年前からランの生産温室にパートで入っています。
2人の子供が小学校に上がり、手がかからなくなったのを機にどこかで働きたいと思っていました。
ネットや雑誌で探していてもいまいちピンとくるものがなくどうしたものかと日々を過ごしていました。

そんな時、ランの生産温室で働いている友人が、
「ベテランのパートさんが2人抜けちゃって、今うちの温室、人を募集してるからどう?
あんたなら絶対向いてるよ!一緒に働こう」と誘ってくれました。

お花などに全く興味のなかった私でしたが、友人の計らいで一度見学させてもらう事にしました。

広々とした温かい温室がいくつもつながっていて、10人ぐらいのパートさんが
みんなそれぞれの作業を黙々としていて少し不思議な光景でした。
休憩時間にはみんなコーヒーや紅茶を飲みながらわきあいあいと雑談していて
とても楽しそうな雰囲気で、これならやっていけるかなと思い早速社長さんにお願いしました。

社長さんには「こういった細かくて気を使う作業には向き不向きがありますので、取りあえずしばらく勤めて考えて下さい」と結構きつく言われました(本人はきつく言っているつもりはなかったかもしれませんが...)

まぁ合わなければ辞めればいい事だし...

翌日から仕事に入りましたが、何をどう動けばいいか分らない私は取りあえず雑用が主な仕事でした。
花にさわるのはまだまだお許しが出ず、花に水をやったり鉢を拭いたり、重いものを運んだり
切った根や葉をかたずけたり、休憩の時にお茶を入れたり、そんな事からやっていたと思います。

何日かたって社長さんが私よりもかなり年配の老眼鏡をかけたおばさんAさん(私の母と同じくらい)を
「この人はうちの温室一の名人なので、花の組み方を一通り教わりなさい」と
紹介してくれました。多分60歳くらいになるその人はものすごく器用にお花を組んで行って
あなたもやってみなさいと言ってくれました。
私が最初に触らせてもらえた花はオンシジュ―ムという黄色い細かい花がたくさん集まったランでした。
Aさんが支柱を立て、私が3つのポットを重ねて陶器の鉢に入れ形を整えます。
最初はうまくいかずに一つ作るのにも30分以上かかりました。
Aさんは柔らかな口調で細かい事まで丁寧に教えてくれました。
何個かやっているうちに私はだんだんコツがつかめてきて慣れてくると5分ぐらいで出来るようになりました。
完成した花は薄い和紙をかけて、ビニールの鉢カバーを付けて箱に入れて完成です。
何十箱もの私達の力作は夕方従業員の方がトラックに積んで市場に出荷されます。

最初は簡単な花が主でしたが、日がたつにつれ
だんだんと難しい花にも挑戦させてもらえるようになり、
初めてコチョウランを組んだ時には社長さんに「失敗したら、あなたの今日の給料全部飛んじゃうぞ」
と言われ流石に緊張しましたが、Aさんの指導のもと何とか合格点をいただけました。
それからは1回1回が失敗の許されない本番なので緊張の連続でしたが

やっていくうちにいくつもの花を組めるようになりました。
今でもAさんや他の先輩方には到底かないませんが、
私もそれなりに出来るようになってきた事が嬉しく、自信にもつながってきました。
もともと細かい事が好きで、手芸やパッチワークが趣味だった私には結構向いている仕事でした。

本当言うと、みんな話しもせず黙々と作業していて楽しいのかな〜なんて最初は思っていましたが、
何か一つのものを作りあげる事の楽しさを本当にここの職場で理解したように感じます。


うちの生産温室にとって一番忙しいのは3〜5月です。
朝から夕方までみっちり仕事があり、家に帰るとへとへとです。
子供たちには「お母さん土の匂いがするよっ」て言われますが、多分温室の匂いが付くのでしょうか
特に悪い気はせず、むしろその事を誇りに思うようにさえなっています。

7月から9月まではほとんど出荷がないので私も含めて大部分のパートさんはお休みで
夏休みは子供達と一緒にいる事が出来ます。
決して賃金は高いとは言えませんが、この仕事は結構気に入っています。
Aさんたちが長い間、勤めているのが何となく分るような気がします。
私は働かせてもらえる限り生産温室で働かせてもらおうと思っています。


コメント:本分の中で「一つのものを作る事の楽しさを理解できるようになった」とありますが、
それはとても大切な事だね、仕事自体を自分も楽しめて、人にも喜んでもらえる。色んな年代の人と仲良くなれ、そして多少なりともお金になる。とてもいい仕事だね!これからも楽しんで続けていただきたいものです。




お花屋さん仕事体験記 002

紫は運命の色 / by こゆき

OLだった私がお花屋さんで働き初めて1年
ある日の事...
店長が遠くまで配達に出かけていて、私が店のカギを閉めて帰る事になっていました。
「7時30分か〜、もう閉めようかな〜」と思っていた頃、紫色のスーツを着た男性がやってきました。
「何この人、趣味わる〜」と思っても取りあえず愛想笑い
何やらフラワーキーパーの中をじろじろ見まわし...
「すみません、この紫のバラで花束作って下さいっ、5000円で何本入る?」男性はそう言いました。
「紫のスーツに紫のバラかよっ」よほど紫が好きなのかな〜と思いながら
「そうですね〜、1本300ですから15本ぐらいですよ〜、
ブルーファンンタジアを入れると豪華で綺麗になりますよ〜」
そんなやりとりをしつつ花束を作り、
「ありがとう」ナンパ風なその紫男は風のように店から出て行った。
「どうせ、お水の女にあげるんだろう」と思いながらその場は何とも思わなかった。

何週間かたったある日、また閉店間際にあの紫のスーツ男がやって来た。
でも今度は黒いスーツでビシッと決めている。
あまりのギャップに「以外といい男かも」なんて思ってしまう。
「あっ、いらっしゃいまえせ」
「あっどうもこんばんわ!」
今回紫男は赤いバラを5000円分買った。
「今日は先日と感じが違いますね〜」なんて聞いてみた。
「先日はバイト先の送別会で普段は紫のスーツなんて着ませんよ。今日は会社の帰りで、同じ部署の女性の送別会があるんです。」

こいつ、会社行ってるのに、バイトもしてるの〜やっぱり紫男だわ〜、などと思いつつ
「あまり飲み過ぎないようにして下さいね」なんて言ってみる。
「○○市まで車で帰るんで、飲まないようにします。」
「○○市!、私もですよ、えっ何町ですか?帰るのに1時間はかかりますよね〜」
なんてローカルな話しで盛り上がって

そんなこんなで花束が出来あがって、私「5250円です。」
すると紫男は「○○課で領収書下さい」
よく聞き取れなかったので私が聞き返すとおもむろに名刺を取り出して
「これでお願いします」
名刺を見てびっくり!
「え〜 ○○T株式会社 〜、誰でも知ってる一流企業の営業マンじゃないの〜」

人はみかけによらないものだね〜

その後も紫男は社内に花を飾ろうなどと会社で提案したり、社内で誰かが退職したりするとうちの花屋の営業員(笑)になって花を買いにきてくれたりと、花の用事をつくってはお店に足しげく来てくれるようになり...
結構仲良くなりました。

仲良くなってから何で紫のスーツなの?って聞いてみた。
それは...バイトしてたのは親戚のおばさんが経営するちょっとお洒落なジャズなどの音楽を聞かせながらお酒を愉しむ居酒屋だそうです。会社ではバイト禁止だけど、おばさんや母親にどうしてもと頼まれて身内のお店なんでと上司にも許可をとってやっていたそうです。
紫のスーツだったのはその日、お店の貸し切りパーティーでカウンターを頼まれて少し悪そうに見えた方がいいかと思ったからだそうです。(普段、紫男は厨房で頭にタオル巻いて何か作っている)

むっふっふ...
そんな紫男も今では私の大切な旦那さんです。


コメント:きっかけや第一印象は何にせよメデタシメデタシな話しですね〜、でも最終的にこゆきさんの心をとらえたのは、彼が一流企業の社員だったからではなく、お花の用事を作ってはひたすら誠実に、足しげく通ってくれたひたむきさではなかったかと思われます。とても楽しい話しをありがとうございました。どうぞお幸せに〜。



お花屋さん仕事体験記 001

わたしの夢 / by おくちゃん

私は高校生の頃からお花が好きで花屋になりたいと思っていました。
高校卒業後、お花の専門学校に通ってNFD3級を取得し、地元に帰って来て
たまたま求人のあった市内の花屋さんに就職しました。
決して大きな花屋さんではありませんでしたが、従業員やパートさんも常に7、8人はいる中堅所のお店でした。

私は花屋さんで働くに当り、心配な事が一つありました。
それは小さな頃からアトピー持ちで植物の汁や花粉などによって
皮膚が腫れてかゆくなる事がしばしばありました。
もちろんそれだけが原因ではありませんが
(ストレスとか、食事などにもよる特にたまごや白砂糖などを使った料理、甘いもの系)

ここ数年は症状もそんなにひどくありませんでしたが家族のものはお花屋さんで働く事に関して
少し心配していたようです。
お店の奥さんにも働く前にアトピーの事を話しましたが、
「うちの娘もアトピーなんで、その苦労はよく分るよ」と言ってくれて、
アトピーを理解してくれている人がいて少し安心しました。
奥さんは私の肌を見て、「ゆでたまごのようにつるつるのほっぺだねきっと大丈夫だよ」と励ましてくれました。
私もなんだか平気になってきました。
でもそれは甘い考えでした。

働き始めて1ヶ月ほどたったある日、案の定アトピーの症状が出てしまい
とりあえずそのまま出勤し真っ赤に腫れあがった私の顔を見て他の店員みんなをびっくりさせてしまいました。
真っ赤に腫れあがった私の顔や手は、かいてもかいてもかゆくて、血がにじむぐらいまで掻いて、薬でなんとか
症状が出ないように努力しましたが、直りかける頃には皮下に血のかたまりがあるのか顔は真っ黒にどす黒く
なってしまうほどでした。
お店の店長さんや奥さんはちゃんと直るまで出て来なくていいよと言ってくれましたが、
すでに3日も休んでしまったので
あまり休むとまずいと思い、真っ黒い顔のまま出ていきました。

それからは徹底的に食事に気を付けて手もなるべく清潔に保つように心がけました。
お花屋さんにとって忙しい母の日が終わって暑い夏がやってくると、またアトピーの私には大敵です。
日光に長時間あたったり、汗を多量にかいても症状がひどくなる事があるんです。

そして今度もまた、以前と同じ様に最悪な状態になり3日ほど休みました。
そして少し出勤してはまた少し休み、少し出勤する
というような生活が続き、店長さんが「ちゃんと治してから出ておいで」といって
しばらく休ましてもらう事にしました。

夏のあいだ3週間ほど休みをもらい、私の顔は以前のようなゆで卵のようにつるつるで綺麗になりましたが
どこにも行かず家でゆっくりしていたせいか体がなまり
出勤してもみんなの仕事のペースについてゆけず、ストレスがたまるばかりで、
大好きなお花に触れても楽しいと感じる事ができず

仕事になれた頃またアトピーを発症してしまい。
ついには店長さんにも「おまえ、この仕事向いてないのとちゃうか」と言われてしまいました。
私は悔しくて悔しくて「辞めるって言ったら自分に負ける事になるから絶対辞めない」と心に誓いました。

でも友達や他の従業員の人達も相談に乗ってくれましたが
「病気に負けただけであって、自分や店長に負けたわけではないよ」と言ってくれました。

その当時、私は自分の事ばかり考えていましたが、
私が急に休むたびに、その穴をうめるべく従業員の誰かが出勤しなければならず
迷惑をかけている事を忘れていました。
また、休んでいる時も店長さんは私の給料を決まった金額ちゃんと払っていてくれました。

私はこれ以上従業員のみんなや店長さん奥さんに迷惑はかけられないと思い。
その花屋さんを辞める事にしました。

当時はまだ21歳でしたが、その後もお花の仕事が諦めきれず。
園芸店のレジ係りなど間接的にお花と触れ合える仕事を探して転々としてました。
33歳になった現在は生活の為、パートでボールペン工場で働いていますが、

もしアトピーでなかったらお店の一つも持っていたのではないかなーと思っています。
今でも夢にみるのはあの華やかな店頭でお花を売っていた頃の自分の姿です。

もう一度チャンスがあればもうひと花咲かせたいです。


コメント:持病を抱えながら働くのは辛い事だよね、特にアトピーの場合は完治しないんですよね。自分が一番やりたい仕事につければそんなにいい事はないんですが、病気の為にやりたい仕事が出来ない事は歯がゆいね。これから先いい薬が出来て症状を少しでも抑えられたらいいですね。


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